TAISEN > TAISEN囲碁 > メイエン事件簿

  第33話  動

2009.6.11


 イ・セドルさんの一年半休場というニュースには驚かされた。あまりびっくりしてアドレナリンが出てしまったのか、サボってきた事件簿を更新する気になった。と言っても、イさんの休場はまだ完全に決まった感じではなく、ちょっとコメントしにくいので、今度は違う話題で攻めてみよう。

 漢検協会の件でテレビで繰り返し見せられたのが、あの一年を漢字一字で表すイベントである。去年は「変」でしたが、漢字は一字に複数の意味で使われることが多いので、一字というのは、かえっていろいろな見方ができて面白い。囲碁で使われる「変」は「この手がちょっと変だったか」というような具合ですから、漢検の意図とはちょっと変わった意味で使っている。

 棋士が色紙を書くとき、「無心」とか「至楽」とか二文字ことばが多い、でも求められる量が多いとき、僕は一文字でごまかすことがある。ゾーンプレスにちなんで、だいたい「幅」と「押」の二通りですが、本当はほかに書きたい字があって、それが「動」なのです。

 「動」と書きたかったら、さっさと書けばいいではないか、というところだが、これが何かと気が重い。というのは「不動」と書かれる先生がいらっしゃるからです。何かの具合で「不動」と揮毫された先生の色紙のよこに、「動」が並べられたら、けんかを売っているとしか思えないじゃないか。

 あの双葉山の「われいまだ木鶏たりえず」で見られるように、「不動」というのは、大横綱にしてもあこがれの境地、碁打ちとしてそれを目指すのは当然と言えよう。ましてや相撲と比べれば、碁は動かないものですから、「不動」というのがなおさら似合っている。全局、磐石な勝ち方をする「不動」の大名人が出てくれば、天下を沸かし、おおいに囲碁普及につながることだろう。

 しかしである、ヒーローには切られ役が必要で、もし囲碁界に「不動の棋士」しかいなくなったら、かえってつまらなくなるでしょう。「踊らない手」は相手がジタバタして来た所でバサっと切るから映えるのです。実際碁は動かない静的なゲームと見られていますが、それは外見だけ、打っている本人にとって、こんなにダイナミックに変化するものはない。布石が終わったところで「あなたはすでに負けている」と言える大名人でない限り、碁は「動」のゲームとして感じるではないだろうか。

 にもかかわらず、碁は静的なつまり「不動」の視点を中心に研究されてきた。例えば、検討するにしても、どの手が「一番いいのか」、どうすれば「形勢がよくなる」か、それに終始している。「一番」いい手、そして形勢が「よい」ということは、碁をそこで「測定」する行為であり、静的な見方そのものだと思うのです。

 漢字ではなく感じで分かっていただければいいのですが、もともと動いているものは正確には測れない、一局の最中、たち止って局面を測るのはすごく難しい上に、プラスになるとは限らないと思うのです。ビデオのように流れる一局を途中で止め、コマ送りしてああだこうだと解析する、そのこと自体大変有意義なことですが、棋譜解説などで見られるように、そこで得られた結果が「碁のすべて」と思われていないだろうか。


 図1

  僕の白番、黒1と競ってきたところ、白Aなら一見普通ですが、頑張りどころと見ました。

 


図1
       
                      

 図2

    実戦は黒Aには白Bあたりの利きがあるから、何とかなると見て、白1からボウシ(?)していった。その白1をどう評価するか。 普通の静的な視点から考えれば、まず白1は黒Aの攻めや下辺黒Cの反撃にしっかりした対策を用意していなければならない、「なんとかなる」ではとりあえず失格です。

     また、実戦のように黒2に受けられて、次Cに打ち込まれると持ち込みになる恐れがあるから、黒2にたいしてどう打つ、後付けでもいいから答えをはっきり持ってなければ、白1に対して評価のしようがない。そして、すべての変化を調べたところで、白1がいい手か、悪い手か、はっきりした答えが出てくる。


図2

 一方、動的な視点から白1を説明すると、ここは左下の白も薄いので、黒の一番弱い右下との接点白1に「踏み出す」のが僕の「動き」かたです、黒Cは白石の方が多そうでやれそうだし、黒2ですと、白が自分の補強したかった方から「押した」感じになるので、それだけでいい。黒2に具体的にどう打つか、それは黒2に打たれてから考えればいい。何せ碁は二人の対局者が動かしているものですから、相手がどう動くか、もともと分かりっこないのです。

 実戦は黒2のあと、勢い白Dとツケコシて行ったが、これがよかったかどうか分からない、かと言ってほかにどう打つのかも難しいところです。しかし、次どう打っていいか分からないのはその場面の問題で、決して白1に問題があるとは考えない。

 

  例えば野球のバッターが速球に対して、脇を締めて上からたたいた、ボールを芯でとらえた手ごたえがあった、バッターのできることがそれまでで、そのあとボールがどこへ飛んでいくかはボールに聞いてくれ、という感じだ。仮に今度はアウトになっても、思うように体を動かし、ボールの芯に当てたたという手ごたえがあれば、つぎも同じように「動く」ことができる。図2白1は「芯に当たった手ごたえ」があるので、そのあとが分からなくても、「次もこのように動いていこう」ということになるのです。

 ただ、「次も同じように動く」ということは、図2の場面になれば、必ず白1に打つ、ということではない。その日の体調が違えばスイングが違ってくるように、そのときによって、白1以外の手の方がより「弱い石同士の接点へ踏み込む」動きにぴったりと思うかもしれない。白1がそのとき一番打ちたかった手だけで十分で、「白1が一番いい手」という証明はなくても気にならない。

 というような具合ですが、「動的な視点」とは結局個人的な解釈にすぎないともとれる、人それぞれ違う動きをもっているのであれば、動的解釈も個人的にならざるをえない。僕をふくめて、客観的な結論を頼りに碁を打ってきたものとしては、自分にたよることに不安を覚えるでしょう。しかし、碁はもともと自分と相手だけのものではないだろうか、「動」の視点はいままでもしかしたら第三者に頼りすぎた「自分の碁」をとりもどすきっかけにもなるのです。

 コマ送りの写真から動かない結論を得るという第三者としての「静」のアプローチのほかに、善悪のしばりを一回取っ払い、当事者として流れのなかから碁を眺める「動」の視点もまた面白い。それが「碁」というワンダーランドにさらに多くな意味づけ、新しい活動空間を開拓することにつながるかもしれない。

 メイエン

 

 

TAISEN トップページ






 


王 銘エン(おう・めいえん)

昭和36年11月22日生。台湾・台北市。50年11月来日。52年入段、平成4年九段。
平成12年第55期本因坊戦で、趙善津本因坊を破り、タイトル戦初登場で初のビッグタイトルを奪取した。13年第56期本因坊戦では、張栩七段の挑戦を受け初防衛。14年第50期王座戦で趙治勲王座を破り王座位を獲得。

主な著書に「王銘エンの囲碁ミステリーツアー」「ヨセ・絶対計算」「我間違えるゆえに我あり」「読みの地平線-最小限の読みで強くなる」 (いずれも毎日コミュニケーションズ)、「ゾーンプレスパーク」(日本棋院)。


Copyright (C) Mainichi Communications Inc. All rights reserved.
掲載記事の無断転載を禁じます